東京工業大学名誉教授
一國 雅巳
の花といえば、温泉地で土産品として売られている粉末状の物質というのが常識です。このような湯の花は、温泉水から分離・沈殿した物質ですから水には溶けません。代表的な湯の花は硫黄華(いおうばな)です。自宅でお風呂を沸かし、硫黄の湯の花を加えてかき混ぜますと白濁したお湯になります。
ところが別府明礬温泉特産の“湯の花”は、名前は同じでも、世間一般の湯の花とは異なるものです。まず製法が違います。温泉水からの沈殿物ではありません。“湯の花”は湯の花小屋とよばれるわら葺きの小屋のなかでつくられます。小屋の土間には青粘土という青みを帯びた粘土を敷き詰め、この粘土層の下側から天然蒸気(噴気)を導入します。
なぜ小屋の中で作業をするのかといいますと、これは小屋の空気の温度、湿度を一定に保つためと、できた“湯の花”が雨に溶けるのを防ぐためです。このように水に溶けやすいということも一般の湯の花と異なる点です。
噴気自体はこの地域の温泉活動に由来する蒸気です。噴気には少量の硫黄分が含まれています。粘土層中を噴気がよく通るようにするため、土間の地面を掘り下げ、そこに栗石を並べます。その上に青粘土が敷き詰められますが,その厚さや固め方などは長年にわたる経験から生み出されたものです。この製造技術は国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、まさにそれに値する技術です。
すなわち水に溶けるということが“湯の花”のもう一つの特徴です。“湯の花”の主成分はハロトリカイトという鉱物です。化学的には鉄とアルミニウムの硫酸塩です。“湯の花”は粘土層の上に霜柱のような立派な結晶として成長します。その成長速度は1ヶ月で数cm程度です。月に一回位の割合で粘土層の表面に成長した“湯の花”をかきとります。
ゆっくりと成長することでよく発達した結晶ができます。このような結晶ができるためには鉄、アルミニウム、硫酸イオンがハロトリカイト中と同じ比率で、しかも徐々に供給されることが必要です。これらのイオンの供給バランスが崩れますと、“湯の花”の成長は妨げられ、結果として“湯の花”の生産量は減少します。原料が良質の青粘土であっても、数ヶ月にわたって“湯の花”の採取を続けていますと粘土中の鉄が少なくなり、“湯の花”が出来にくくなります。この段階で新しい青粘土の追加、あるいは入れ替えを行います。
“湯の花”生成の仕組みについて考えて見ましょう。噴気に含まれていた硫黄分が小屋の粘土層中で空気と接触することで、徐々に硫酸にまで酸化されます。この硫酸が青粘土と反応し、粘土から鉄、アルミニウムを溶かし出します。
青粘土はスメクタイトという粘土鉱物からなる粘土です。スメクタイトにはいろいろな種類がありますので、すべてのスメクタイトが“湯の花”製造の原料になるわけではありません。原料として用いられてきた青粘土は鉄を含むスメクタイトが主成分です。単に鉄を含むというだけではなく、その量が“湯の花”製造に適しているということが重要なポイントなのです。その意味で明礬温泉付近に産出する青粘土は“湯の花”製造に不可欠の原料です。
“湯の花”は入浴剤として用いられます。“湯の花”が水に溶けると弱酸性の溶液になります。従って“湯の花”を溶かしたお風呂は温泉でいえば酸性泉に相当します。